媚薬 日本 歴史 惚れ薬 江戸時代

日本の歴史に残る媚薬集!惚れ薬は江戸時代には使われていた?

 

媚薬や惚れ薬というのは男のロマン。それは昔の人にとっても同じだったようで、媚薬、惚れ薬は江戸時代には既に使われていたそうです。

 

ここでは、過去に使われていた媚薬や惚れ薬を解説しています。

 

 

 

日本の歴史に残る実際に売られていた媚薬たち

 

江戸時代では、相手をその気にさせるものだけでなく、男の精力増強効果を持つものも「媚薬」と言われていたそうです。

 

長命丸

もともとの使用目的は疲労回復薬という位置づけでした。「身体が元気になるならアソコに塗ったらそっちも元気になるんじゃね?」的な事があったかどうかは分かりませんが、媚薬として使う時はペニスに塗ることで効果を発揮します。

 

上に書いた通り、現代の感覚では長命丸は媚薬というよりは精力剤ですね。

 

たけり丸

オットセイの性器を乾燥させ、粉末状にした媚薬。精力を増強させる効果があり、インポテンツ(ED)などにも効果を発揮していました。

 

オットセイは現在でも精力剤として利用されており、赤ひげ薬局でも取り扱いがあります。長命丸同様、たけり丸も精力剤と言えますね。

 

赤ひげ薬局含むドラッグストアでの媚薬の取り扱い状況はこちらをどうぞ。

 

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女悦丸

こちらは上二つとは異なり女性のための塗る媚薬です。女悦丸は女の子の陰部に塗ることでクリ〇リスが膨れ上がり、強烈な快楽を得られるとされていたそうです。

 

これは現代にも似たような媚薬があります。興味がある方はこちら。

 

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通和散

漢字だと何なのか分かりにくいですが、現代でいうところのローションです。江戸時代に実際に市販されていた性交時にぬめりを加える薬です。

 

ぬめり成分を塗って乾かした紙状になっており、口に含み唾液で戻したものを使用していました。

 

水やお湯ではなく唾液でというのがミソだったらしく、ぬめり成分の持続時間が比較的長くなったそうです。

 

<余談>
何故こんな媚薬が作られたのかと言うと、昔の日本では男色(つまりホモ)文化が普通だったからです。有名どころでは伊達政宗もホモだったとか。
男のア〇ルは女の子のアソコと違って濡れないのでそのままじゃ入りません。唾液で無理矢理ねじ込むことも可能ではあるのですが、やはり痛い!
そんな悩みを解決するのに「通和散」は大活躍でした。

 

 

江戸時代に使われていた惚れ薬

 

媚薬と惚れ薬の違いに関してはこちらに僕の私見があります。

 

イモリの黒焼き

イモリの黒焼きは江戸時代に流行したほれ薬です。発情期のイモリの雄と雌を、節で隔てられた竹筒の左右に入れておくと、一晩で節を破ってまで交尾をしたと言われています。

 

このような互いを強烈に求め合う習性から、イモリは惚れ薬の材料にされたのではないかと考えられます。

 

使い方は黒焼きにしたイモリの粉末を雄のものを自分に、雌のものを思い人に振りかけるだけです。イモリが互いを求める気持ちが働いて、特定の相手と結ばれると信じられていました。

 

 

現代日本ではより強力な媚薬が入手可能

 

江戸時代の段階で既に様々な媚薬(精力剤)が売られていたのは上記の通りです。

 

現代日本では、配合成分、製造方法がより洗練された強力な媚薬が購入できてしまいます。

 

実際にAV撮影の現場でも使用されており、効果の強力さは実証済み。

 

通販で買えるおすすめの媚薬数点を様々な条件で比較、ランキング付けしたものをこちらで紹介しています。興味のある人は確認してみてください。

 

 

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